三州瓦、軽い瓦、防災瓦、太陽光発電と屋根工事は三州瓦窯元の神清へ。 | ||||||||
安土桃山時代から江戸時代初期(17世紀中頃)になっても、瓦葺きの建造物といえば寺院か城郭がほとんどで、一般人の居宅に瓦が用いられることはあまりなかったようです。 この時代の瓦屋根は本瓦葺(ほんがわらぶき)といって、平瓦(ひらがわら)と丸瓦(まるがわら)をセットで組み合わせて葺くもので、どうしても重量がかさみ、建物自体の構造がよほどしっかりしていないと採用しにくいものだったのです。そこで結局のところ、頑丈に造られた寺院や城郭以外には瓦屋根は少なかったというわけです。 そこに登場したのが、平瓦と丸瓦を一つにまとめた桟瓦(さんがわら)です。発明者は近江大津の人で、三井寺の用を勤めていた西村半兵衛で、延宝2年(1674)の創案と伝えられています。 桟瓦は軽いだけでなく、製造や施工のコストも抑えることができたはずですから、一般家屋への瓦屋根の普及に大きな力となりました。 現代の日本建築でも、最も多く用いられているのが桟瓦ですが、西村半兵衛が発明したものがこれと同じ形であったかどうかは、残念ながら分かっていません。 |
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